2014年1月20日月曜日

スピについて その① 猫町読書会と SNSのこと

去年の10月。


一度、全部退会していた、
SNSを再開した。



この世で生きるのは、
一人遊びで完結するものではない。

トラブルがあったり、
なさけない感情のぶつかりあいがあった、
泥臭い姿なんて見せたくない、

といちいち、
すべて切っていたら

なにも・・・

仕事も、友達も、恋愛も、


実を結ぶことができない。


そう痛感して、戻ってみた。

相当、葛藤があった。



今でも、あまりSNSを見ない時間は作るようにしている。
あくまでツールなのだ。

ただ、ポジティブな情報を伝えるときは

これは、伝えなければならない、と
意志を持って書かれた言葉には、

最大限の価値を発揮すると感じる。






昨年度、私は猫町読書会、という
名古屋に本拠地を置く、日本最大の読書会にて
ボランティアスタッフを務めていた。

ものごころついたころから、
本を読むことが無上の喜びであり、


大学に留学した時から
うつ病時代を経て、ずっと、

自分自身を客観的に見つめて、
発信し、
そして熱いレスポンスが
どこからか、必ずある
ブログを書くのが楽しみであり、

出会った人と、

対面で聞き、言葉を語ることに
最大の価値を置いていた

言語原理主義を生きていた私にとっては

地上の天国のような
遊び場だった。


今までの私の読書量や、
ボキャブラリーをもってすれば、

この読書会というコミュニティで、
注目を集めるのは造作もない。



遊び場だから、
利害関係の無い人ばかり。
大人だから、
周囲も、ほわほわと受け入れてくれた。




そして、また、
SNSという閉じたコミュニティを最大限利用して、
私なりの武器で、このコミュニティを盛り上げようとした。

ホメ言葉をつくして「ホメ日記」を書き、
(別に、無理をしておべっかと使っていたのではないが)

だが、同時に身を削っていた。
SNSで多くの人に
見られるプレッシャーと常に戦っていた。

それでも楽しんでもらえればいいと思っていた。


結局、燃え尽き症候群に陥ったのだ。

自分の羽根を抜いて
せっせと布を織っていた「鶴の恩返し」の、鶴のように。


私は、そのボランティアスタッフの任期終了とともに、

当時付き合って別れた彼氏と清算と同時に
逃げ切るように、
一気にSNSを退会した。




そういう行動が、
残った人々や、
今までのお世話になった人に
どのような影響を、感情を与えるかは、
わかっていた。


わかっていたが、
どうしようもなかった。

あらゆるものが、
中途半端な自分がイヤだったし、
何も決められない自分もイヤだった。

そして、SNSを離れて
動いていた間に、
自分の中で大切なもの、
大切な人は、軸は
しっかりと育っていたらしい。





今となっては、
SNSについても、
一番の悩みではなくなった。



少し前まで。


ブログを実名で公開するべきか?
どこまで書くべきか?
顔写真は上げるべきか?

もっと言うなら、

Facebookはどこまで公開すべきか?
mixiの日記はどこまで?


そういうことに、一番気を病んでいた時期があった。
それはそれで大事な時だったのだ。


だけれど、今は
それよりも、もっとやりたいことができた。

というか、やらねばならん、とわかった。
幸いに。



ちょっと、そういうことで、四苦八苦していた
昔の私自身をかわいい、
愛おしい、と思う。

そういうことで、

ぐだぐだと、
うだうだと、
延々と


迷い続けていたことは
決して無駄ではなかったし
貴重な時間だったのだから。




(つづく)

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